心にゆとりを持とう!!

多くの人が「掃除」と「清掃」は同じ意味だと思っていると思います。
何を隠そう、かく言う私も最近までは区別して考えてはいませんでした!
しかしこれが違うということを最近知りました。

「掃除」は汚いところをキレイにすることで、「清掃」はより磨きをかけるという意味があるそうです。キレイな床を雑巾がけをする時は、「清掃する」と言います。
ピカピカに磨かれた窓ガラスは、とても気持ちがいいですよね。それは「快」というものがどういう状態かを心が認識するからです。
ですから心にゆとりを持つための手っ取り早い方法というのは、身の回りにあるあらゆる物を磨くことで目の前のものに対してしっかり意識を向けて感性を磨くようにすることです。

また、末端まで気を配ることも大切です。
汚れたり、ほころびのある靴、伸びた爪、枝毛の多い髪の毛や剃り残しのある髭等・・・若い頃には鏡の前で時間をかけてアレコレと手を加えていたような身だしなみも「まあ、これくらいならいいか!」などと、だんだんいいかげんになって来がちですよね!
末端まで気を配ることは、心にゆとりが無かったり、面倒であったり、さらには、いわゆる「お洒落心」が「自分の年齢では、もう関係無い」などと、だんだん思うようになって来て失せてくるものです。

しかし、年齢に関係無くあえて末端まで気を配るようにしてみると、始めは「そんなことをする時間は無い、無駄だ」などと思ったりもしますが、始めてみると時間が生まれ、心は「快」を感じられるようになるものです。
私たちの脳は「快」と「不快」を瞬時に判断しています。いつも気持ちが良い「快」をのスイッチがオンになっている状態を積み重ねていくことで、心にゆとりが生まれるものです。

髪の毛が床に落ちていたら拾う、洗面台に水滴が付いていたら拭く、使用した物は元の状態に戻しておく、などの習慣を身に着けておくと、隅々まで気がつく力が付くので、その結果周囲の情報をキャッチしやすくなります。
「気づいたらすぐ行動する」ようになると、始めは無いと思っていた時間ができるようになり、心にもゆとりが生まれます。すると年齢が上がるにつれて出て来がちな周囲からも煙たがられるような態度である、多少のことに対するイライラも無くなって来るものですよ。

ご自身の為にもご家族を始めとする周囲の方々の為にも試しにやってみてはいかがでしょうか!